utatane

熊本にて

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9日の早朝に那覇を出て、熊本に行ってきました。
思いつきと衝動で決めた短期泊でしたが、つながれる出会いと
インプット処理しきれないくらいの情報と映像と瞬間を目に焼き付けてきました。

ボランティアで滞在している。えいごやしゅじにも会えたし、
滞在中の大雨でえいごとラーメンの炊き出しはできなかったけど、
はじめくんが繋げてくれた「ハレルヤ熊本」での出会いから

https://www.facebook.com/hallelujah.kumamoto/

益城町の避難所での朝のコーヒーと味噌汁を提供する
手伝いを1日だけ一緒にやらせてもらいました。

貴重な体験をさせてもらえたし、
避難所の朝の風景から、そこで生活している人たちの
現状や暮らしの声を少しでも聞けたような気がするし

倒壊した家々のある路地を歩きながら
本当に壮絶な地震だったことを心に刻みました。

まだまだ復興途中の九州・熊本
いろんな人のいろんな前向きな活動に本当にリスペクトです!

やっぱ行かなきゃわからんね。

今度はちゃんとやれることを準備していこうと思ってます。

 

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最後は福岡でみゆきとてんこちゃんと一杯飲んで
関西に着地。今週の和歌山でのやることを終えたら
月末の「橋の下音楽祭」に向け始動開始。

逆に元気もらってきた!さて、明日から頑張ろう!!

 

 

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以下長文ですが、今回感じたことを書きました。

 

 

今回は沖縄の滞在を短くして、被災地である熊本に行ってきました。

募金先であり、元スタッフでラーメン屋台「かじまやー」掛川店主「えいご」と熊本駅で合流して。

車で街を走りながら、被害の大きかった西原町まで1時間弱

拠点先で、流れる風景を目にする

熊本駅周辺の、綺麗なコンクリートのオフィスビルたちは

一見何事もなかったかのように、時を刻んでいるようにも見えたけど

所々のビルの合間の木造家屋や路地裏の古家は、瓦がはがれ落ちたり、シートが掛かっていたり

迂回や通行止の道路が所々にあったり、まだ復興途中を感じる

郊外へ郊外へ、景色がのんびりしたあたりから

景色や空気が一変。

益城町に入ると一気に雰囲気が変わる。

割れたアスファルト、完全に倒壊した木造家屋、

バリバリに割れた壁と斜めにかたむいたRC建築の家屋の数々。

瓦礫の山と避けた道路。倒れてぐちゃぐちゃの墓石や神社の石灯篭

とにかくひっちゃかめっちゃかの風景。

通行止めや迂回道路も多く、地震の爪痕を痛いくらいに感じ

目に入ってくるものが壮絶で、頭の「インプット」が全く

追いつかない。思わず声をあげたくなる景色。

さらに車はもっと田舎へ山道を走り、西原町へ

地震の後すぐに熊本入りし、現地で炊き出しや、復興作業の手伝いをしているえいご。

げっこうそうやイベントでも会う「しゅじ」もがボランティアで滞在していて

避難所にもなっている西原町のたんぽぽハウスのボランティアの宿泊先でもあるお宅へ。

この日は雨で、作業ができないけど

しゅじは木で作る簡易小屋、こっちでは「木テント」と呼んでいて

倒れた家先の庭や空き地に作って、寝泊まりできるような場所をつくるを手伝っていて

段取りや連休後に急に減った人手で忙しそう。

えいごはたんぽぽハウスで炊き出しをさせてもらったり

明日もちょうど炊き出しをすることになっていて、

その準備などをするみたいだった。

炊き出しも、ウイルスが出たり、平等性や衛生面などの指摘で規制も入り

大手企業のお弁当屋さんが三食のお弁当を手配するようになったり状況も変わりつつあるようだ

1000人に届けないと平等じゃない毛布

その日は避難所も寒くて「500枚」しか届かなかった毛布を

平等じゃないから配らなかった。そんな場所もあるようだ。

お年寄りや子供たちにまず配ってあげることに、文句はないのでは、

まずはあるものを必要な人に届けてあげればいいのにと思う。

でも、役場が「個人の判断」では捌けず、そういう「偏ること」や「臨機応変の判断」を

こと嫌う体質なのもわかる、でもそんな状況でもない、でもきっと手一杯なんだろうな。

そんな話を聞いて、いろんな気持ちになる。

滞在先のじゅんさんに挨拶して、

この日は雨で作業の手伝いはあまりできなさそうだったので

えいごの明日の炊き出しの食材の買い物へ出かける。

状況をもう少しいろいろ詳しく知りたかったので

買い物途中で連絡を取り、熊本在住の友達に連絡を取りたく

愛知で会った「はじめくん」に連絡する

はじめくんはオーガナイザーでありミュージシャンであり、

今回の地震でも、ミュージシャンや仲間たちと、

「ハレルヤ熊本」

https://www.facebook.com/hallelujah.kumamoto/

という名前の団体で熊本の復興活動をしている。

地震後ずっと息を抜く時間もなく、過ごしてきた彼らも

三週間が経ち、ようやく少し段階が変わってきて、集まって飲み会をする日だったらしく

連絡したら 青空農園のシェアハウスで

仲間たちがちょうど集まるからおいでよ!と誘われたので、

いいタイミングだと思いながら、家にお邪魔することになった。

ハレルヤ熊本の拠点である「青空農園」

代表の薗田君はじめ、みんな意識ある熱い人たちが集い

いろんな話を聞けたし、つながりをつくることができた。

いかないとわかんないことだらけだけど、現地の声

国の対応や避難所の現状、状況の悲惨さを感じながらも

そこからの前向きな九州人・熊本人のたくましさというか

こんな状況でも、めげることなく、さらによりよくしてやろう!

という強い気持ちを持つ現地のみんなから、こっちが元気をもらったように感じた。

その夜 出会った「チャン」くんとの出会い

チャンくんは 益城町の避難所で、毎朝コーヒーと味噌汁を提供しているらしく

その活動と人柄に、何かを感じてしまい。

明日の自分の予定を全て返上して、自分も手伝いたいとお願いして

チャンくんの炊き出しの手伝いをすることにした。

夜も更けて、酒も進み、いろんな話をしながら深夜に潰れていく。

そして翌朝の5時起床。、避難所でのボランティアリーダー、熊谷くんと一緒に

車に乗せてもらい、早朝に益城町の避難所へ

「チャン」くんは長野出身でその昔の昔、月光荘にも泊まりに来てくれたことが

ある人で、パラダイス通りに「ザイマカ」というレゲエバーが

あったのを知っている人はその時代のころ。つながりの友達も多く、いろんな人を思い出す。

道路には倒壊した一軒家が並ぶ景色を、静かに通り過ぎながら、避難所へ向かう。

地震の被害が特に大きかった益城町にはまだまだいくつも避難所があり

ここは大きい避難所になるのだろうか、社会福祉センターを避難所として解放して

目の前の斜めに傾いた団地から避難した人達や、昔からの家が倒壊して帰れない人たちが何百人も暮らしていた。

避難所の敷地の入り口付近にテーブルとコンロが置いて

チャンくんはそこで朝7時に朝食として配られる「パン」か「おにぎり」に

間に合うように、お湯を沸かし、味噌汁の仕込みをする。

贅沢は言えんって言ったって、

毎日おにぎりだけじゃ寂しいだろうし、

美味しいコーヒーをいつでも飲んでもらいたい。

チャンくんのそんな気持ちと行動に感動した。

朝の避難所の風景。

 

ラジオ体操が終わり、朝のおにぎりを配りだした頃、

味噌汁を食べに来てくれる人たちが並ぶ

食後の人たちは、コーヒーを飲みに来て

ひっきりなしにお湯を沸かしたりコーヒーを出し続ける

三週間くらい毎日ここで炊き出ししているチャンくんのコーヒーブースは大人気で

いろんな人が集まって、おしゃべりしたり、子どもや大人のちょっとした「ゆんたく場」だ。

娯楽もほぼないであろう避難所の一角の風景の中にあたたかく溶け込んでいた。

食事が終わると避難所の1日が始まり、少し忙しい時間になっていた。

避難所から着替えて仕事に出かける人、家の片付けに向かう人、などが忙しそうに出て行く。

昨日からは学校が始まり、コーヒー片手にお母さんたちは、

「いたらうるさいのにいないと寂しいのよね」などと

そんな会話を近所のお母さんたちと話してたり、

避難所から集団登校して行く小学生や、中学生の姿をみんなで見送る大人たちの姿に

「暮らし」を目にする。

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地震から三週間。未だ余震が続き、

どこからどうやって手をつけたらいいのかわからない日々。

帰れる人たちは、少しづつ家に帰って行く人もいるのだろうけど、

被害のひどく帰れない人たちもいて、仮設住宅ができるまではこのままで

暮らさないといけない人たちも多く、まだまだ落ち着かない日々を送らないといけない。

「昔は畑ばかりだったよ。今はたくさん家ができたし

下った道路向こうは、田んぼだったから元の地盤が緩いんだ。

だから、被害も大きかったんじゃないか。」

コーヒーを片手に常連のおじさんがそう言ってた。

 

昼昼前くらいにようやく ひと段落して

チャンくんと、ひと休憩入れて

避難所の周りの町を散歩してみた。

昨日は車で見た景色だったけど、町を歩いてみると

鮮明にいろんなものが入ってくる。

 

立派な日本建築の古い家屋の屋根の梁が、自分の目線と同じ高さにある。

「家」とともにそこにある「暮らしの風景」も一緒に下敷きになったような感じがして

倒れた家一軒一軒を見るたびに、やるせない気持ちになった。

 

重たい瓦屋根のお家が、こうも簡単に崩れてしまってる

傾いてしまったRCの家もどうしようもない。

えぐれた畑や倒れたブロック壁。

これが沖縄で起きたら。

内地の和歌山の田舎で起きたら。

 

自分の町で起きた時のことを想定する

そう思うと他人事ではなく

その時のために知ったり、

学ぶことがここにはたくさんあるのだろうと思う。

 

家の一軒 一軒に張り紙がしてある。

「この家はもう住めません」を伝える赤い紙

「気をつけて住んでください」の黄色い紙

各家々にはそんな状況を一覧できる色のついた紙が貼られている

「気をつけて住んでください」って書かれても

 

何をどう気をつけたらいいんだ。そうも思うし

壁一枚ぽろっと剥がれたものから、土台がギリギリのものまで

「いろんな黄色」があるのではとも思う。それを決めたのも人であり

誰かの裁く「目」と「判断」でしかない。

 

避難所にしても役場の職員さんも自治体も、あふれる情報と処理に手一杯で

なんとか最善を尽くしてて、それぞれに役場への不満不平もあるのだろうけど、

責めるのは役所の人ではなくてシステムであるように思えた。

これだけの被害が出ているのに、震災として認定しようとしない国の考えはなんだろう?

あまり報道に触れようとしない鹿児島の原発は本当に大丈夫なのだろうか?

 

避難所の入り口は

自衛隊の給水車や作業車、道路工事の車

医療・介護関係の人、保健所の衛生管理の人

駐車場の警備員、ボランティアの人や炊き出しの人

避難所に生活する人以外にもいろんな人がやってきてて

そこで暮らす人たちを支えてる。

 

被災して家をなくし、家と家を区切る壁をなくした避難所の世界には

村よりも、もっとぎゅっと詰まったひとつの「ムラ」があるような

復興して、新しい暮らしが落ち着いた頃には

町全体で悲しいことやつらいことを乗り越えて

きっとより素敵な街になっているように思いました。

 

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朝から別行動のえいごと連絡を取ったら

雨がすごすぎて、たんぽぽハウスでは炊き出しは今日できなくなって

どうしよう? とのことだったので、こっちの避難所でできないかを

ボランティアリーダーに相談してみた。

こっちも先約で「大阪、たこ焼き・お好み焼き組合」が

炊き出しに来るらしく、唐突はいろいろ厳しそうで

別の避難所を紹介してもらって、話をしてみたら、そこでできることになった。

そしたら今度は大雨で西原町が避難指示で、あっちもバタバタ

今日は大雨で、土砂災害も出そうで、どうやら仕込みができそうにない。

今夜の炊き出しをえいごが諦めたけど、天気のいい日にやらせてもらえるように

別の避難所に一緒に行って、下見させてもらった。

 

避難指示も出て雨もすごく、避難所では寝泊まりもできないので

その日は熊本市街まで、戻って宿に泊まり、

最後はえいごとしゅじと三人で飲みに行くことにした。

 

次来るなら、車で来て、車で寝れるようにするのが良さそうだ。

炊き出しも、職員さんと話をして、良かれと思ってやってきても

人数や大きさや人の年代や後片付けなど、ちゃんと話してそこにあう

カタチにしていかないと避難所の人が困ってしまう場合もあるし

衛生的信頼や、起こりうる問題や出てくる声に対して

事前に想像できて、クリアになるものはクリアしたい

 

ただでさえ、窓口になってくれている人も

いっぱいいっぱいなのに、余計な手間や心配をかけさせないようにする

気持ちの配慮は絶対必要だと思う。

 

行って 見て 感じたことが 本当に大きいと思った。

手ぶらでふらっと来てしまったけど、仕事ややることを片付けて

今回感じたことと繋がった人たちの情報を得ながら

自分たちでのやれることを見出して、

長期的な復興のお手伝いをしていきたいと思いました。

また来ます。熊本!

2016-05-10 09.40.15

 

チャンくん ありがとう!

 

ハレルヤ!!

 

 

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